細野 美典 (ほその みのり)
【経歴】
東京都浅草生まれ、埼玉にて育ち、24歳東京にて起業。35歳結婚と同時に静岡に移住。子育てをしながら大学にて心理学を学びカウンセラー、心理療法士となる。現在、今を淡々と生きるただのひと。
幼い頃より「自分と何ものか?」「存在するこの世界の真実を知りたい」と考えるような子どもでした。人生を通して人間の心や世界の成り立ちについての根源的な問いが継続して存在していたのです。
人間存在の根本問題は、やがて結婚し子育てをするうちに心理学という学問へと向かわせました。2人の子育てをしながら大学で心理学を学び、社会教育団体の活動や地域活動を通した心理学実践においても探究は続きます。
静岡市地域福祉審議会委員、高齢者福祉委員の委嘱を受け、また高齢者介護施設、障碍者就労支援、静岡県立大学学生相談室カウンセラー等の仕事を経ます。
その後、ある経験から探究は参究へとなって、現在は根源的な問いへの答えが見つかり、今ここの私として安らぎを生きています。
2007年
日本交流分析協会/交流分析士
アドラー心理学step勇気づけセミナー/清水ルーム・リーダー
2010年
日本心理学会/認定心理士
静岡カウンセリング研究会/来談者療法
リアリティー・セラピー現実療法
2017年~
NHA こころを育てるアプローチ
EFT 感情開放テクニック
レイキレベル3
2018年~
ブライアン・ワイス博士の前世療法
予防医学療法研究会®(JPMI)認定リセット®セラピスト
奇跡講座(ACIM)
『“つ”のつくうちは神の子』などと言いますが、「つ」がつく9歳までの子どもは神に近いピュアな存在ということでしょうか。
幼いころから、不安感の強い子どもだった私は、私以外の“真実の存在”をいつも身近に感じて生きている子どもでした。成長するにつれ、その存在から離れ始めて、この世に生きることに収縮したエネルギーを感じるようになりました。
9歳ともなると「私は誰なのだろう?」「何者なのか?」「人生とは何なのか?」「人生における私の使命は?」などと考えるような子どもでした。そんな私は周囲の大人や人間関係を観察しては、自己の精神の深い部分を知りたくていました。
そして、次第に「生きるとは苦しくもあるけれど、楽しくもある。」「人間とはなんと興味深いものであろう!」と感じるようになり、成人した私は、人への興味から対人関係のある仕事を選び、結婚後は子育てをしながら心理学を学び探究してきました。
人生の転機が訪れたのは、自分の体に老いの変化を感じられるようになり、子育てや親の介護に忙しくしてなってきた45歳ころのことでした。
何となく変化している心と体に気づき、これまで生きてきた自分への違和感が生まれ始め、再度「自分とは何か?誰か?」という人間やこの世の成り立ちなどの根源的な問いへの答えを探し始めます。
ユングのいう人生の正午、ミッドライフ・クライシス(中年の危機)と呼ばれる人生の通過点に差し掛かったのです。自己の探究はさらに深まっていきました。
運動をしたこともない48歳の私が、趣味で長距離マラソンや山岳レース、砂漠レースに挑んだのもその探究の一環でした。
そんな時、私に難病の経験が訪れました。
2016年55歳、線維筋痛症の症状が顕著となり2017年12月線維筋痛症との診断を受け、2018年4月56歳に寛解しました。
この経験が、幼いころの“真実の存在”を思い出すことの転機となりました。
『その人にとって最大の試練こそ最大の恵み』
心理学的に言えば「この意識の表層にある小さくて窮屈な自分ではなく、このものの本性に気づいていく。そのために、人は一度、象徴的な死を経験し生まれ変わらなければならない(死と再生のプロセス)」という生みの苦しみ、生まれいづる苦しみを味わうこととなった悲痛で壮大で避けようもない経験でした。
こうして、ミドル・パッセージ(人生半ばの通り道)を通過した私は、9歳のころにあった“真実の存在”から離れたことなど一度もなかったのだということに気づいていくことになりました。
そうは言っても、
「私とは何者か?」
その答えがハッキリとしない限りは、まだ探究の途中の私でした。
「このものの本性が明らか成らざれば生きていても生き地獄」と寝ても覚めてもそのことばかりであったとき、幸福なことに「正しい禅」をご提唱、ご指導される禅のご老師様方と出会うことができました。
そして、やっと探究から参究へと向かい、自己の事実の実証の道筋に乗ることができました。
心理療法士としてこれまでクライエントや自分自身に対して様々な心理学、心理療法、身体療法、エネルギーヒーリング、呼吸法、瞑想法、イメージ療法、認知行動療法、EFT感情開放テクニック、、、などを行ってきました。どれも効果はあっても必ずしもそれらは誰もが普遍的に永久的に救われるという方法ではありません。
兎の毛ほどの疑念があれば人は救われたと大安心を得ることができません。
しかし、一切の疑念が晴れるとことんの救いがここにあります。それは、誰もがそもそも悟りのど真ん中で生きているのだと気づくことでした。
誰もが自己の本質を思い出し、本当は、幸せや自由や安らぎにある状態が本当の自分であることに気づいて行かれますように。
幸せとは、外側にあるのでなく、すでに“今ここの私”の内容に変わらず存在しているのです。そもそも誰もが、安らぎとともに在り、それが人の本来の様子です。そのことを実証していかれますことを願っています。
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